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2012.10.05 Friday





塚本晋也監督作品。
ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門大賞受賞ということで日本ではCoccoファンか塚本晋也ファンか映画好きしか興味を示さないのではないかという映画です。
なんででしょうね、いい映画なのに。
Coccoのドキュメンタリー映画を見たり、少しだけCoccoの知識があったりすると、これはドキュメンタリーなのではないか、というカメラワークになっております。
ドキュメンタリー映画『大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-』を見た後だと「生きろ」というメッセージや「沖縄の言葉での歌」などが入ってくるので錯覚してしまうほどです。
Coccoが実際ライブで歌ったものも入っているそうです。
それに出演者の中には実姉や息子さんっぽい人も出てくるし、あまりにも彼女の演技が演技とはわからぬほど迫真に迫っているので本当か嘘かわからなくなるのです。

ちなみにオリゾンティ部門というのは前衛的な映画に贈られるものだそうで快挙なのですが、日本と海外との視点はやっぱり違いますね。
映像はショッキングと言えばショッキングです。
リストカットが出てきたり、グロテスクなシーンが出てきたりと、「見たくないもの」がたくさん出てきます。
内容はと言えば、ちょっと難しい。
ひねっているとも言えるし、素直だとも言える。
元ネタはCoccoの「両目を開けると物が二重に見える」など、本人からの体験談を通してシナリオを練ったらしいのですが、それをひねって、一人の人間を見ると、普通の人と暴力的な人の二つが同時に存在して見える、という主人公をCoccoが演じています。
途中で田中という小説家が出てくるのですが、塚本晋也本人です。
あの方「小説家」として出てくると、どこか村上春樹に似てませんか?
なんとなくひょうひょうとしているような雰囲気がうまかったです。

塚本監督は歪なものを通して、正常な二面性を映し出すのが非常にうまいですね。
今回の主人公は暴力的な人間と正常な人間が同時に見える母親が子供をどうやって守っていくかというお話なのですが、たぶん男性より母親のほうが本当にしっくりくるのではないのかなと思うのです。
というのは、子供を守る母親ってコミュニティから阻害されると子供の人間関係にも関わってくるわけだし、いつどのような危険が子供に訪れるかわからないし、子供にはよい未来を体験してもらいたいと必死になるのは、どこの親も一緒なのではないかと思うのです。
そんな母性というか守護観念のようなものが強くなると逆に潔癖症のような感じになってくる。
あの人は危険かもしれない、あれは信用できないかもしれない、とあらゆるものの「危険性」を考慮して見えない不安に付きまとわれることになります。
また力が弱い女性個人としても「危険」はあるわけですからね。
主人公はいつから二重に見えていたのか、というのは明かされませんが、もしかしたら離婚か離別かシングルになったことで精神的なショックを受けたとか、事故的なものか、生来のものか、毎日のように流れる殺人事件などのショッキングなニュースから膨らんでいったのかわかりませんが、普通の人間だってひょんなことから人間関係ガラガラと崩れたりするのですから、そんな体験多くすると「人間いつ裏切るかわからない」と普通は思うようになるはずです。
もし、この「二重に見える現象」が「人間が持っている本来の性質」だとしたら、「暴力的な人間像」というのは何かと言うと、「負の側面」であり「悲しみ」「辛さ」「痛み」「切望」「憎しみ」「恨み」なのかなと監督本人のコメントからも伺える。
そんな気持ちの集まりが個人間の争いから戦争まで起こしているのかなとは思いますが、この映画は個人とそして子供との間に生まれている大きな軋轢をいかにしたらいいかということが強く感じ取れるわけです。
例えば母親は子供が出来たら突然一度もしたことのない子育てをしなければいけない。
こうすればいいのか、これは危ないのか、どうしてこうならない、など子育てをしたことがある人は少なからず悩むものです。
こんな狂った世界ならもう生きている価値もないと理性のバランスを崩しかけることだってあるでしょう。
誰も助けてなどくれないのだと孤独感を強く抱いたりとか。
特にこの映画はCoccoの価値観や考え方を強く引き継いでいるということはドキュメンタリーを見ればよくわかるし、映画のセットもCoccoの自前のものが部屋に飾られているなど、まるで監督が彼女のために作った映画のようにも思えてきますけれど、海外の人などはそれがわからないわけで、純粋に何を示しているかを考察してきたのですが、小説家の田中は一体何者なのかという疑問が見終わった後に残りますよね。

私が一番映画の中でしっくりくる言葉はこれ。
「歌を歌っているときだけ一つに見える」

ということで、正視できないようなシーンがたくさん出てきますが、美しいシーンも凄く多い美術性の非常に高い映画であり、二人の人間の思考の交差点上に産まれたこの映画の示唆するものをゆっくりと考えてもよいかと思います。

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