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  <title type="text">走れエトスブログ</title>
  <subtitle type="html">書評・映画・コラムのサイト。本家ブログの転載も。</subtitle>
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  <updated>2006-11-03T17:20:06+09:00</updated>
  <author><name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name></author>
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    <published>2017-03-03T00:19:41+09:00</published> 
    <updated>2017-03-03T00:19:41+09:00</updated> 
    <category term="小説" label="小説" />
    <title>無題</title>
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      <![CDATA[<iframe width="320" height="240" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=ethos-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=B00XVAKEQG&amp;linkId=509e0a19c3eddae379fe536634aee4cb&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr"></iframe><br />
<br />
<br />
とある人から「知り合いが直木賞を受賞したから読んでみてくれ」とあり、購入した。<br />
「ちょっと前はぶらぶらしててさ」とか、「ペンネームも山東省からきているんだよ」と言っていたのでどんなものかと読んでみると、久しぶりに泥くさいような小説だと感じた。<br />
若さの力というか暴力の力というか、随所に出てくる爆発的な力が主人公を突き動かしていて、中上健次の小説のような一触即発のピリピリした雰囲気が漂うが、文章は所々ユーモアや恋愛があったりして、最初の方で殺された祖父から「ミステリー小説なのかな」と身構えた気持ちが、すっと融解していった。<br />
小説は実体験を元にしていて随分と変わった人生を歩んでいるなとも感じたけれど、結局はルーツを探す人生であり、「血」というものへの抗いがたい強き引力であり、自分は何者なのだという誰もが人生では一度は考えるような疑問を突き詰めたものだ。<br />
ただ「血に関わる因縁」が人の深い罪や業に関わってくるとなると誰しも躊躇するようなものだけれど、運命なのか、見知らぬ力に導かれているのか、色んなことがすっと最後の瞬間に繋がってくる。<br />
持って生まれた因縁が不幸を作ったり、意図しなかった道を作ったり、自分もよく感じることだけど、まるでバラバラで何も繋がらないかのようなことが、すっと一まとめになって目の前のイベントを作り上げていることを感じることがある。<br />
受賞直後に購入して読み終わってはいたのだけど、ずっと感想を書くのを止めていた。<br />
何か小説から突き上がってくる圧倒的な感情や暴力性に心が引きずられているのがよくわかったからだった。<br />
いわば、読者の心を揺り動かす力が物凄く強い。<br />
台湾、中国本土、日本と行き来するわけだけど、この舞台が日本だったら、もっと違った、陰気臭いような小説になったのかもしれないけど、そこは中国の広さというか、主人公の突き抜けた直情さと人間らしい生身の感情が色んなものと純粋にぶつかって昔のスポーツマンガのような爽快な感じさえ漂うところが、読んだ後も残り続けた。<br />
蒋介石が亡くなった直後に祖父が殺されているため、当時の台湾の事情なども書かれていて、余計に泥と血が香っているけれど、私小説っぽい要素もあるため純文学としても読めるけれど、展開が破天荒なのでエンターテイメント感溢れる直木賞受賞は納得の一冊になっておりますよ。]]> 
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    <author>
            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
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    <published>2017-01-23T15:13:06+09:00</published> 
    <updated>2017-01-23T15:13:06+09:00</updated> 
    <category term="経済" label="経済" />
    <title>予想どおり不合理</title>
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      <![CDATA[<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4150503915/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4150503915&amp;linkCode=as2&amp;tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;ASIN=4150503915&amp;Format=_SL250_&amp;ID=AsinImage&amp;MarketPlace=JP&amp;ServiceVersion=20070822&amp;WS=1&amp;tag=ethos-22" /></a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=ethos-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4150503915" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border: none !important; margin: 0px !important;" /><br />
<br />
久しぶりに目からうろこの読書体験をしました。<br />
行動経済学という分野なのだけど、経済学というとマクロとかミクロとかグラフがあって計算式があってとか、そういう小難しいものは一切ない。<br />
というより、むしろ心理学に近い分野かもしれない。<br />
今まで物凄くもやもやしていた基本的な人間活動に対する疑問に明確な答えをくれた。<br />
<br />
例えば私など無知なものだから、ちょろっと政治的、思想的発言をしようものなら、たまに批判が来る。<br />
批判が来るのだったらよいのだけど、ネットの場合ほぼ罵倒形式で来るのだから何故なのだろうと思っていたし社会が硬直化しがちな思想を何故会社勤めの人たちはいつまでも持ち続けるのだろうと、ずっと不思議に思っていた。<br />
まず「期待」や「予測」がいわば現実を脚色するということだ。ニュースで予め情報や印象を叩き込まれるのもそうだし、これが会社になれば共有している環境や未来が一緒なのだから、まるで社会全体がそのシステムで動いているように感じる。優良企業と言われているところが、何故か「潰れない安泰な会社」と思い込むのもそうだ。<br />
それは同じ料理を高級な皿に盛って食べてもらうのと、貧相な皿に盛るのとでは美味しさや反応が大きく違ってくるのと同じだ。同じ料理なのに。事前に説明を受けた料理も評価が変わっていく。<br />
でも料理の例と会社の例が同じだと言われてもピンと来ない心理が働く。<br />
そして人は一度自分が価値のあるものを所有した時に思想だろうが物だろうが実際の価値より高く見積もる心理傾向があるという。<br />
もうこの２つの話でピンと来た。<br />
つまり社会や個人で持っている価値観をなかなか崩せないのは、この２つの心理効果が大きく働いているからだと理解できた。<br />
ここまで説明されてしまうと社会の変革は共有意識を育てる前に心理トリックに近いメカニズムを生み出さなければいけないのではないかと思っている。<br />
<br />
実生活に役立つことも書いている。<br />
「プレゼントは現金がいいか、物がいいか」<br />
現金を渡してしまうことによって何が起こるのか。<br />
人間は金銭的規範と社会規範を両立できないことにも驚いた。<br />
ただ今新たなる疑問は「会社経営とかだったらどうするんだろう」と思った。<br />
安い給料はうんざりだし、なるべくお金は欲しい。<br />
そこはもう少し違う分野や行動経済学の本を読まないといけない。<br />
<br />
この本「不合理」と書いているが、普通に説明されれば理性的かつ論理的思考で「そんなことはない。非論理的だ」とか「よく考えればわかることじゃないか」ということが書いてある。<br />
「何故タダが人気があるのか。タダのコストとは」<br />
１０ドル分のタダの券と７ドル払う２０ドルタダの券ではタダの券が７ドル支払う券よりも人気があったとか。<br />
ここでよく考えれば７ドル払うほうが１３ドル、つまり１０ドルをタダで手に入れるよりお得だとわかるにもかかわらず、圧倒的に無料で手に入るほうが選ばれる。<br />
指摘されてみれば確かに、と思うけど、「あるある！　確かにそうやってる！」という不思議な、不合理な心理傾向が随分と書いてある。<br />
「支払い」は「苦痛」なのだそうだ。<br />
せっかく得たもの、自分のもの（お金）をあげなきゃいけない。<br />
人は物を買う時、心理的障害があることがわかる。<br />
<br />
自分ではかなり理性的な人間だと思い込んでいる人でさえ、そんなことはない。人類皆仲間みたいな感じが爽快だ。<br />
この本を読めば、少しは無意識に行っている日常の思い当たるあの行動を自制する事ができるかもしれない。<br />
逆の目で見れば、私のように「ああ、なるほど。この人にはこんな心理メカニズムが働いてるんだ」という気持ちで何かを許せるようになるかもしれないし、社会活動に生かしていこうと思えるかもしれない。<br />
この本を応用すれば人への接し方が変わる。<br />
社会へのアプローチの仕方が変わる。<br />
企業戦略にホイホイと乗らないようになる。<br />
実にいい本だ。<br />
文体も読みやすく、久しぶりに楽しい時間を過ごせた本だった。]]> 
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    <author>
            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
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    <published>2015-07-18T20:21:59+09:00</published> 
    <updated>2015-07-18T20:21:59+09:00</updated> 
    <category term="小説" label="小説" />
    <title>第153回芥川賞受賞作「火花」</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163902309/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4163902309&amp;linkCode=as2&amp;tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;ASIN=4163902309&amp;Format=_SL250_&amp;ID=AsinImage&amp;MarketPlace=JP&amp;ServiceVersion=20070822&amp;WS=1&amp;tag=ethos-22" /></a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=ethos-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4163902309" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border: none !important; margin: 0px !important;" /><br />
<br />
書店に彼の本がいくつか並んでいたので手にとって読んでみると、だいぶ本作品では書きなれてきた感が出てきていた。<br />
最初の一ページを読んだだけで、この人読書家なのかなと勘ぐり、知っている人に聞いてみたが、やはりそうだった。<br />
文章を沢山読んでいて、小説を書く、この世界を書くという気持ちはよく伝わってくる。<br />
<br />
内容は師弟関係になった芸人同士のやり取りがメインになる。<br />
神谷という主人公徳永がほれ込み師匠とした人との人間模様なのだが、構成として面白いのは徳永が劣等感丸出しで神谷という存在を面白い、この人には追いつけないし、追い越せないと見ていたのが、実は結構似たような力関係で互いが成り立っている。<br />
正直芸人じゃないと書けない内容だなと感じた。<br />
というのも、読み手を意識してウケを狙うわけでもなく、つまらなさも面白さも含めて芸人同士でしか成り立たない会話。<br />
芸人という立場でしかありえない、わけのわからない会話が次々と出てくる。<br />
その淡々とした感じが日常性をさらに強調していたし、ここに少しでも意図的なものが出てくれば、作品としてかなり白けたものになったに違いない。<br />
徳永の心情描写から透けて見えてくる神谷という人間の面白さ、裏を返せば滑稽さがよく表現されていて、昨今出版されている本で抱く「芸能人だから」という隔たったイメージは一切持たず好印象だった。<br />
特に喜劇と悲劇は、ほとんど紙一重の領域にあるが、この作品はお笑いという視点を通し、紙一重のバランスを保っている。<br />
芸の世界は見栄も張っていないと、なかなかやっていけないのかもしれないが、抱いた嫉妬や怒りや無力感や憧れというものは、当人たちの立場の移り変わりを見ていけば、充分に読み取れるし、芸に生きる人間の滑稽さは、よく出ていると感じた。<br />
泥臭いだけに生々しく、「小説」というものは描けている、という感想だ。]]> 
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    <author>
            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
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    <published>2015-04-02T21:17:33+09:00</published> 
    <updated>2015-04-02T21:17:33+09:00</updated> 
    <category term="新書" label="新書" />
    <title>「声優魂」　著：大塚明夫</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061385674/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4061385674&amp;linkCode=as2&amp;tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;ASIN=4061385674&amp;Format=_SL250_&amp;ID=AsinImage&amp;MarketPlace=JP&amp;ServiceVersion=20070822&amp;WS=1&amp;tag=ethos-22" /></a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=ethos-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4061385674" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border: none !important; margin: 0px !important;" /><br />
<br />
<br />
　題名の通り、声優の世界では有名な方が書いた声優の世界の本ですが、俳優とか、小説家とかにも言えるような内容で身につまされました、というか自分も思っていたことなのですが、私も「小説家になりたいんです」と言う人がいたら「やめなよ。真っ当に生きられるならそっちの方が絶対いいから」と言います。<br />
　最近はボイスドラマなんぞを作るようになって、新人声優さんの音源や素人の方の音源を組み立てたりしているのですが、やはり才能の差というのはハッキリわかるものです。<br />
　私が素直にダメなところを伝えると、だいたい素人の方には恨まれたりします。若い頃私も「自分は凄い」みたいな感覚があったので、よく思い出せば今の若い人たちの感覚もわからないまでもないのですが、なんせ私ネームバリューがまだ皆無なので、この方のようにハッキリ言うと恨まれることがかなり多く、「何言ってるんだ素人のくせに」のような辛辣な目を向けられ、挙句の果てには陰口を叩かれまくるという次第でございます。<br />
　自分が仕事のできない人間だということが一番の原因ではありますが。<br />
<br />
　さて、声優のことが書いてあるのですが、小説家も似たような事情に晒されています。唯一の違いは「自分で仕事を作れるかどうか」の違いがあります。<br />
　小説家は自分で勝手に作れますが、役者はシナリオがないと役者にはなれない。厳しい世界だと思います。そして自分も最近になってようやく体に染み付いてきたことですが、こういうことをやる限りは、たとえ他人の車に引かれても仕事の面においては自己責任です。言い訳できません。それだけ身一つ、技術一つ、人間一つで勝負しなければいけないということです。<br />
　ボイスドラマを作るようになって様々な素人や経験者や現役の人と触れ合う機会が多くなってきたのですが、「あー」と思い当たるふしが沢山書いてあり、特に素人の方で声優志望の人たちに多いのが「現実から乖離した夢を抱いている」ということと、何故かたいしたこともないのに「自尊心だけ強い」ということなんですよね。<br />
　例えば大塚明夫と言えばアニメなどに興味のある人は代表作がポッと出るでしょう。本の帯に「メタルギアソリッド」というゲームの監督小島秀夫が「ボス」と書いてありますが、正直知らない人から見れば「ボスって何？　だいぶ偉い人なのかな？」と勘違いしますし、ギリギリテレビを見まくっている人なら「セガールの声の人だよ」と言えば「あーっ」と引っかかる程度の有名さです。<br />
　つまり、業界として既にニッチであり、そのニッチの中の有名人となると映画俳優とは比べ物にならないほどマイナーな役者ということになるでしょう。<br />
　これが正常な見方だと思うのですが、どっぷり浸かっちゃっている人、それしか見てない人は、もう世界そのものがサブカル系に浸されていて、物凄く飛躍したイメージを抱いていることが多々あります。<br />
　そしてその飛躍したイメージは自分に対しても向けられる。自分は主役を演じるのにふさわしい人間だとか、人気キャラを担当して伸び伸びと演じていて、見ている人が感動して、よかったです素敵です、だなんて言われる姿まで想像していたりします。よくわかります。自分もかつて、テレビに文化人として映ってチヤホヤされて、ちょっと格好のいいこと言っている自分みたいなのを想像していました。反吐が出るような思い上がりでした。<br />
　この年になり、様々な経験をして鼻っ柱も折られまくって陥没し、自分の実力もよくわかるようになりました。才能ってなんだろうとか、才能がないんじゃないかとか、色々悩んで、自信満々の作品が落とされて、あまりにも情けなくて思わず母親の前で泣き崩れたこともありました。<br />
　そして同じことをやっている人たちも少なからず見てきましたので最悪の末路も知っています。でもやめることができなかった。その時「書けなくなることが嫌なんだな」と思いました。自分の場合消去法ですが、どうしても最後に削れなくなる物がこれしかなかったし、そのために人生そのものをリスキーにしても別にかまわないと思いました。純粋に作品の精度と向き合うのが楽しい。そして私はまだ手段を沢山持っているし、頭の中のものを全て出し切ったわけでもないので、やめたら即人生後悔するわけです。<br />
　私のことは沢山書く機会があるので、他の場所で致しますが、声を聞いていて思ったことは「上手い」と言われている人でも、どうもその人の中でテンプレートがあって、そのテンプレートを繰り返しているだけという人がいます。長い年月聞いてもいっこうに演技が変わらない。安定しているとも言えるのですが、人間味がまったく深まっていない。若くて上手い人が現れたら取って代わられる程度の実力。きっとその方ちやほさされるのが心底好きなんだろうことがよくわかるのですが、たぶん本人それを隠す。<br />
　本にも書いてありましたが、こういう世界で自分に正直じゃない人って未来の方向性がハッキリしない。で、本当に厄介なのはプロでは食ってはいけないけど、素人よりは断然上手いっていう中途半端な人って、何故か妙なプライドを持っていて、文章の世界でも声の世界でも同じような状況が展開されていました。<br />
　そういう人、素人を見て胡坐をかいているか、もしくは見下すか、どちらかが多かった。無駄にプライドが高くて完全に自分の成長を阻害している。自分の実力を客観視できないから必要な批判と必要ではない批判の区別ができない。もうここに至れない時点で才能がないと私などは思うようになりました。<br />
　演技というのが何かはよくわからないのですが、少なくとも小説というものから見ると、才能があれば文章は年を取るごとに円熟味が増します。というのは様々な経験や人との繋がりから、優れたものもダメなものも自他共に見つけます。当然凄い目利きの人にケチョンケチョンに、立ち直れないほど言われることもあります。少なくとも私は深く傷つかなければ、ここまで気づくことはなかったのではないかと思います。でも、見ている限りプロになろうとしている人の中でもプロの目線から逃げ続ける人、圧倒的に多いと実感しています。<br />
　そして少しでも自分の境遇を他人のせいにする人は、正直会社員生活のほうが絶対合ってますので、就職活動頑張ってくださいと心より応援させていただきます。だってこの世界本当にまともな人間が来るところじゃないんだもの。だからまともな人はまともな社会で暮らして欲しい。親とか親戚とか悲しませるしね。夢追ってて格好いいね、なんて云われるのは３０歳まで。その前からも言われますが、その後は辛辣な言われようです。食えないってそういう言葉を言われてもしょうがないんです。<br />
　あと、声真似する人多いですね。声を真似て演技を勉強するんだと言っている人ちらほらいるんですが、文章を書く立場から見たら「？」です。何故なら文章の世界で有名な人の文体や作り方真似ている人、新人にもなれないので。で、当たり前の話ですがプロだってぬるい見方しないです。「ああこいつ、この人の真似しているな」と思われたら即アウトオブ眼中です。何故なら、オリジナルは既に業界にいて稼いでいるわけです。劣化したものいると思います？<br />
　学は真似ると言いますから、よい文章を模写するのは勉強になるとは言われますけど、参考にはなっても完全に役に立つかと言ったら「NO」です。理由は文章も体で書くわけで、私には私の心と体と精神があって、私自身のリズムがあるわけです。その感覚をガッチリと掴みながら、時には登場人物を演じるかのように懸命にその人のことを考えて、自分の文章のリズムを音楽でも作るかのようにパズルのように組み合わせ、物語全体を調節していく。つまり、この体を持っている、この心を持っている、だからこそ書けている文章であると実感するようになりました。結局自分からはどう足掻いても離れられないというのがいい意味でも悪い意味でも理解したことです。<br />
　これを演技で言うならば、その人間と体の作りも心も違うのにコピーを試みても、結局違う体と心を持った自分の素の演技に磨きがかかるかと言ったら、どうも聞いている限りでは疑問です。絵の世界でも偽物は贋作と言いますけど、本当に勉強になるのは、寸分の狂いもなくコピーできた時だけです。偽札が偽物だとわかったら価値がないのと似てます。比喩でもしっくりこないのだったら、言います。真似ても、どう足掻いても自分出ていて、その自分をガン無視し続けているんです。それを目指すより、相手の演技を聞き入って、どう返すかを考えつくしたほうが、コピーするよりも近道だと思うのですけど。どうやったら、この演技に負けない演技ができるのか。返すのではない。圧倒するんだという意気込みでようやく成長できる気がします。<br />
　憧れてしがみ付く人は多いですが、去る人も圧倒的に多いところです。特にちゃんと家庭を持とうとか、当然周囲もまともに社会人やっていれば出世していく姿を見ることでしょう。それと自分を比べて惨めな気持ちになったりすることもあります。正直病みます。それ気にならない人だけ出来るとも言えます。<br />
　そして長年やり続けることで邪魔になる物があります。あくまで長年です。１０年とか２０年とかやり続けるためのコツ。自己顕示欲と承認欲求を捨て去ることです。兎にも角にも理不尽なところです。努力した見返りはほとんどありません。テスト勉強をするように点数が出ないし、人気にあやかろうと思ってもまず思い通りにいきません。そして今まで努力の見返りは何らかの形で点数なり評価なりわかりやすいシステムの中で分別されてきましたが、人間の理不尽さそのものの真っ只中に突っ込まれることになります。とてもじゃありませんが、存在意義など見出せないしあまりの見返りのなさに擦れてきて最後には病みます。で、自分は必要のない人間なのだとわけのわからないことを言い出し、他人を恨んだり孤独感に打ちのめされたり、精神を充足させる道としては本当に選択を誤っています。そこは著者と何一つ変わらない意見をずっと持ち続けていました。<br />
　同業者だったら自分のこともっとわかってくれるはずだという幻想も捨てましょう。プロはもっと厳しいです。同業者は同業者だからこそ容赦しないと思います。そして傷つくからということで馴れ合いをしている人、成長しませんのでいずれ誰かにすっと抜かれていきます。最初からモチベーションも低いので数年で溶けるようにして消えていくんですけどね。これ、あくまでプロになろうとしている人の話しです。遊びでやっている人は、楽しいのが一番ですし、サークル仲間とわいわいやるというのは日々お仕事などでお疲れの人生の癒しの一つとなるでしょうし、そこはまったく否定しません。<br />
　私が見ている限り、本当に好きな人は自分で自分の欠点を見抜いて、誰に言われなくても勝手にやってます。好きってことは、ある意味オタク視点というのが出てきて、細部にこだわりだすし細部が気になりだすし、出来ていないのも気になりだすし、そこをできるようにするのが楽しいし、スキルアップしていった先の世界というものを見ていたり、自分への客観性を超えてシニカルさもあるような目で自分を捉えます。だから決して何かのせいにしないんですね。自分で失敗しているってわかっているから。だから勝手にやって勝手に直す。立派です。本当に尊敬できるタイプです。そしてその手のタイプ、超グングン伸びます。びっくりするほど。<br />
　今声も出していますけど、気持ちは小説を書いている時とあまり変わりがなくて、声も出しているのとても楽しいし、出せば出すほど打ちのめされているし、課題が沢山あるって楽しいです。小説ももちろん。<br />
　私はとにかく満足したい。あー、これよかったなー、と心底言ってみたい。こりゃすげぇ、とぞっとするものを創って見せたい。私は小説を書いているので、とにかく人間を見つめている。自分が演じることで動く心の細部を通しながら他人の存在をもっと別の角度から新しく発見したい。<br />
　私は極端な例をいつも考えています。本当に大事なものを犠牲にしてでも、これをやり続けられるか、ということです。実際それに似たような経験もしたし、体験としては結構充分な域まで行きました。<br />
　自分の人生捧げられますか？　他人から心底酷いこと言われても、これやれますか？　本当に凄い人とやり合って太刀打ちできるだけの自信つけられるようにしていますか？<br />
<br />
　結構長く書いてしまったし、著作に書いてある内容とほとんどかぶりますけど、自分もずっと思ってきた内容だけに、自分もまとめてみることにしました。<br />
　自分にとってはとてもいい本でした。<br />
<br />
　　私からアドバイスできることは、この本には今すぐにでもできるノウハウが沢山詰まっている。本当に覚悟があるのなら今すぐにでもやるべきだ。勇気があれば大胆な行動も取れるはず。迷っている暇はない。]]> 
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            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
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    <published>2014-06-28T23:17:59+09:00</published> 
    <updated>2014-06-28T23:17:59+09:00</updated> 
    <category term="小説" label="小説" />
    <title>カモメのジョナサン</title>
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      <![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4105058053/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4105058053&amp;linkCode=as2&amp;tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;ASIN=4105058053&amp;Format=_SL250_&amp;ID=AsinImage&amp;MarketPlace=JP&amp;ServiceVersion=20070822&amp;WS=1&amp;tag=ethos-22" /></a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=ethos-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4105058053" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border: none !important; margin: 0px !important;" /><br />
<br />
<br />
　先日ＮＨＫのニュースで出たことを知り、完成版とのことで第四章が追加されて４０年ぶりにお目見えとのことで急いで書店に行き購入した。この本を最初に読んだのは確か２０代後半だったような気がする。<br />
　題名からは、なんか動物ものだから、ほのぼのしてる童話か何かじゃないか？　だなんて思っていたら違いました。悟りの書みたくなってる。<br />
　というのもジョナサンは「飛行」や「スピード」をひたすら追求するカモメになっていく。一つ芸を追及することによって単に「生きる」ことに必要な「餌をとり生活していく」という次元からはるかに別の価値観を得ていくことになるのだが、それだけにカモメの群れから追放されてしまう。<br />
　その一芸を追求するという行為の先に肉体をも超えて行き開眼する様は「これはいかにすれば悟りを得られるのか」を書いた小説なのではないかと、当時は思っていた。一つの世界を純粋に練り上げ純度を高め、目で物を見るのではなく、世界と一体となった心の目で時空を見渡す。確かにここまでいってしまうとそれは「カモメ」とは呼べない存在になってしまう。<br />
　ニュースでも言っていたが、肝心の第四章は、第三章で終わっていれば「ああめでたしめでたし」という印象しか持たなかったものが、ジョナサンがいなくなり神格化され、行為から思考へ切り替わり、思考のために思考を練り上げ、思考を植えつけるための約束事やしたきりまで出始めるという、ニュースでは「堕落」と言っていたが所謂「現実不在の堕落思考の様相」が描かれている。<br />
　ほとんど全ての言葉というのは「行為」を中心にし、体の中のリアリティを通して発信されているはずだ。さもなければ、個人にとってそれは単なる「情報」でしかなく、体験談でも得た知恵でもなんでもないのだ。知識を得て体験もせぬまま情報レベルでそのまま井戸端で噂話をするかのように語る人間はたくさんいるが、常に情報のオリジナルであり続けることは難しい。<br />
　何故なら現代は情報が溢れていて、さも体験したかのように緻密に脳内に情報を蓄積することができるからだ。だから、我々は知らないことでさえ情報を共有して知った気になっている。<br />
　そして情報を我々が確かに身近なものとして共有している、現実のものであるとするにはシンボルが必要になる。何か象徴的な形となるものが必要になってくるのだ。だから我々が思考を停止させる時必ずキーワードで話し出す。そのキーワードが何を示すのか、というのは、象徴物に印象付けられたイメージや先入観からしか考えられなくなる。<br />
　そして行為は歪められ、思考は堕落していくのだ。<br />
　これは別段難しい話ではないのだ。行為によって出しかオリジナルの情報は手に入れられない。知識は知恵にならないし、情報が真実かどうかも確かめることはできないのだ。世界を見つめることは、歪んだ心を捨て去り自由を得る必要がある。心の中からしがらみを取り去る必要があるが、いかに自由になったとしても自由になろうとしても、しがらみや群れを求めだすのが人なのかもしれない。<br />
　この小説は多様な捉え方がある。経済には「神の見えざる手」があるというが、人間社会にも荒む時期や栄光の時期が繰り返されている。それはきっと個人の利益を考える人間の腐敗であったり、はたまたその腐敗に対する反発的な意思で利益を考えたりの繰り返しなのかもしれないとも考えさせられる。<br />
　しかし我々の社会がどうあれば健全でありうるか、という議論はしばしば「行為」によって変えられるのではなく「情報」によってのみ歪められることが多々出てきている。<br />
　第三章までの話は４０年前。高度成長期の終わり頃で、その時期には第四章は時代に似つかわしくなかったとニュースで言っていた気がする。そして今になって第四章が追加されたわけだ。<br />
　これは何の運命か何の因果か。あの頃二十歳で読んだとしても、もうその人は６０ぐらいになっているはずだ。その人たちは何かを感じるのか、もしくはそういう長老たちよりもむしろ、今の若者にこそ再度問いかけているのではないのか。<br />
　文章も簡単で一読の価値はある。ぜひお勧めしたい。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
        </author>
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    <id>ethos.blog.shinobi.jp://entry/20</id>
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    <published>2013-05-22T10:26:12+09:00</published> 
    <updated>2013-05-22T10:26:12+09:00</updated> 
    <category term="映画" label="映画" />
    <title>『インセプション』</title>
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      <![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0050ICLCM/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B0050ICLCM&linkCode=as2&tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B0050ICLCM&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=ethos-22" ></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ethos-22&l=as2&o=9&a=B0050ICLCM" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
<br />
<br />
<br />
久しぶりに映画を見た。<br />
そして、久しぶりによい映画を見た。<br />
題材は「夢」なのだけど、実際は「深層意識」だ。<br />
クリストファー・ノーラン監督というと、最近は「バットマンシリーズ」が有名だけれど、私がこの監督さんの作品を最初に見たのは『インソムニア』か『メメント』あたりだったと思う。<br />
特に『メメント』に関しては１０分間しか記憶を維持できなくなった男が妻殺しの犯人を追うというストーリーだけれど編集が１０分毎に過去に逆行していくという一風変わった映画だった。<br />
実験的と言うか、まあ、新しいことをやるのだから前衛的とも言えるし、他の人が撮らないような映像を作っていく印象がとても強い。<br />
<br />
心理学については、専門的な知識はまだあまりなく、現代心理学がどこまでいっているのか知らない。<br />
基本的には無意識の提唱をフロイトがし、夢に着目しだしたのはユング程度の大雑把な雑学程度でしかないのだけれど、この映画は深層心理を階層化していて、階層が進むほど目が覚めやすくなるという設定だった。<br />
そして「心の中では世界を組み立てられる（例えば建物とか人とか）」が、「上の意識階層で起こっている物理的現象に下の階層が影響を受ける」という世界観だ。<br />
実際面白いのが「無重力空間」というのがあった。<br />
あれどうやったんだろう。<br />
ワイヤーかな、なんてカンフーアクションのやつしか思い浮かばない。<br />
<br />
他人の心の中に潜入するのだけれど、複数でも入れる。<br />
しかも相手の心の中に入っていても、主人公の深層意識が影響してくるとか、より強いものは夢の中で具現化される。<br />
この「インセプション」という題名、「inception=初め、発端」という意味がある。<br />
つまり深層意識の発端となっている、基本的なその人間の「アイディア＝idea＝概念、思想、着想、思いつき、見解、理念」だ。<br />
この「idea」という単語には日本語でパッとイメージするよりもたくさんの意味を内包している。<br />
私たちは結構この深いところにある自らへの着想のようなものを根底にして人生を動かしている。<br />
それは相当意識しなければわからないほど自然にやっているし、他人への見解も実は、この自分への思想が大きく影響している。<br />
この映画ではトラウマの存在が夢の世界へ大きく影響していて、いわゆるトラウマというのは自分の意識では、そう簡単にはどうにかできない厄介なものだ。<br />
トラウマは無意識領域に沈んでいて、どの階層でも出てくる。<br />
<br />
私たちの心は自由に世界を構築できる。<br />
それを具現化するには、現実世界でのあらゆる段階を経ていかなければ、なかなかなるようなものではないが、「設計」、つまり「心での具体的なビジョン」がなければ、具現化することは難しいし、さらには「具体的なビジョン」を維持し続けるだけのちょっとした訓練が必要になる。<br />
そうしたいくつかの条件さえクリアできれば、現実で受けるあらゆる障害をはねのけて持続可能な意志を維持することが可能になる。<br />
それはこの映画の中では深層意識の中に「理想世界」を築いていたため、夢と現実の境目がつかなくなるとか、夢の中に取り残された意識は虚無に陥って、二度と現実で動くことはできなくなるというものだった。<br />
<br />
最近「心」のことをよく考えているので、この映画への発想は何度か見直して、もっと考えていきたいと思ったほどだ。<br />
何せアクションシーン満載だし、タイムリミットありだし、エンターテイメント映画としてもよく楽しめる。<br />
脚本ももちろん面白い。<br />
<br />
深層心理は「錯視・錯覚」も存在しているし、それがたとえ「錯覚」だったとしても心は「本物」として捉える。<br />
その心のトリックは自分で解いていかないといけないし、心の迷路は誰の中にもある。<br />
心の迷路が永遠の葛藤や迷いにならないよう、私たちは辛いものと向き合わなければならない時だってある。<br />
<br />
これは久しぶりにお気に入りの映画になった。<br />
嬉しい限り。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
        </author>
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    <published>2012-10-05T17:16:12+09:00</published> 
    <updated>2012-10-05T17:16:12+09:00</updated> 
    <category term="映画" label="映画" />
    <title>KOTOKO</title>
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      <![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B008BHLKYY/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B008BHLKYY&linkCode=as2&tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B008BHLKYY&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=ethos-22" ></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ethos-22&l=as2&o=9&a=B008BHLKYY" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
<br />
<object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/ILChkxK-w70?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/ILChkxK-w70?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="560" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object><br />
<br />
<br />
塚本晋也監督作品。<br />
ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門大賞受賞ということで日本ではＣｏｃｃｏファンか塚本晋也ファンか映画好きしか興味を示さないのではないかという映画です。<br />
なんででしょうね、いい映画なのに。<br />
Ｃｏｃｃｏのドキュメンタリー映画を見たり、少しだけＣｏｃｃｏの知識があったりすると、これはドキュメンタリーなのではないか、というカメラワークになっております。<br />
ドキュメンタリー映画『大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-』を見た後だと「生きろ」というメッセージや「沖縄の言葉での歌」などが入ってくるので錯覚してしまうほどです。<br />
Ｃｏｃｃｏが実際ライブで歌ったものも入っているそうです。<br />
それに出演者の中には実姉や息子さんっぽい人も出てくるし、あまりにも彼女の演技が演技とはわからぬほど迫真に迫っているので本当か嘘かわからなくなるのです。<br />
<br />
ちなみにオリゾンティ部門というのは前衛的な映画に贈られるものだそうで快挙なのですが、日本と海外との視点はやっぱり違いますね。<br />
映像はショッキングと言えばショッキングです。<br />
リストカットが出てきたり、グロテスクなシーンが出てきたりと、「見たくないもの」がたくさん出てきます。<br />
内容はと言えば、ちょっと難しい。<br />
ひねっているとも言えるし、素直だとも言える。<br />
元ネタはＣｏｃｃｏの「両目を開けると物が二重に見える」など、本人からの体験談を通してシナリオを練ったらしいのですが、それをひねって、一人の人間を見ると、普通の人と暴力的な人の二つが同時に存在して見える、という主人公をＣｏｃｃｏが演じています。<br />
途中で田中という小説家が出てくるのですが、塚本晋也本人です。<br />
あの方「小説家」として出てくると、どこか村上春樹に似てませんか？<br />
なんとなくひょうひょうとしているような雰囲気がうまかったです。<br />
<br />
塚本監督は歪なものを通して、正常な二面性を映し出すのが非常にうまいですね。<br />
今回の主人公は暴力的な人間と正常な人間が同時に見える母親が子供をどうやって守っていくかというお話なのですが、たぶん男性より母親のほうが本当にしっくりくるのではないのかなと思うのです。<br />
というのは、子供を守る母親ってコミュニティから阻害されると子供の人間関係にも関わってくるわけだし、いつどのような危険が子供に訪れるかわからないし、子供にはよい未来を体験してもらいたいと必死になるのは、どこの親も一緒なのではないかと思うのです。<br />
そんな母性というか守護観念のようなものが強くなると逆に潔癖症のような感じになってくる。<br />
あの人は危険かもしれない、あれは信用できないかもしれない、とあらゆるものの「危険性」を考慮して見えない不安に付きまとわれることになります。<br />
また力が弱い女性個人としても「危険」はあるわけですからね。<br />
主人公はいつから二重に見えていたのか、というのは明かされませんが、もしかしたら離婚か離別かシングルになったことで精神的なショックを受けたとか、事故的なものか、生来のものか、毎日のように流れる殺人事件などのショッキングなニュースから膨らんでいったのかわかりませんが、普通の人間だってひょんなことから人間関係ガラガラと崩れたりするのですから、そんな体験多くすると「人間いつ裏切るかわからない」と普通は思うようになるはずです。<br />
もし、この「二重に見える現象」が「人間が持っている本来の性質」だとしたら、「暴力的な人間像」というのは何かと言うと、「負の側面」であり「悲しみ」「辛さ」「痛み」「切望」「憎しみ」「恨み」なのかなと監督本人のコメントからも伺える。<br />
そんな気持ちの集まりが個人間の争いから戦争まで起こしているのかなとは思いますが、この映画は個人とそして子供との間に生まれている大きな軋轢をいかにしたらいいかということが強く感じ取れるわけです。<br />
例えば母親は子供が出来たら突然一度もしたことのない子育てをしなければいけない。<br />
こうすればいいのか、これは危ないのか、どうしてこうならない、など子育てをしたことがある人は少なからず悩むものです。<br />
こんな狂った世界ならもう生きている価値もないと理性のバランスを崩しかけることだってあるでしょう。<br />
誰も助けてなどくれないのだと孤独感を強く抱いたりとか。<br />
特にこの映画はＣｏｃｃｏの価値観や考え方を強く引き継いでいるということはドキュメンタリーを見ればよくわかるし、映画のセットもＣｏｃｃｏの自前のものが部屋に飾られているなど、まるで監督が彼女のために作った映画のようにも思えてきますけれど、海外の人などはそれがわからないわけで、純粋に何を示しているかを考察してきたのですが、小説家の田中は一体何者なのかという疑問が見終わった後に残りますよね。<br />
<br />
私が一番映画の中でしっくりくる言葉はこれ。<br />
「歌を歌っているときだけ一つに見える」<br />
<br />
ということで、正視できないようなシーンがたくさん出てきますが、美しいシーンも凄く多い美術性の非常に高い映画であり、二人の人間の思考の交差点上に産まれたこの映画の示唆するものをゆっくりと考えてもよいかと思います。]]> 
    </content>
    <author>
            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
        </author>
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    <published>2012-10-04T14:58:56+09:00</published> 
    <updated>2012-10-04T14:58:56+09:00</updated> 
    <category term="映画" label="映画" />
    <title>大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B002R2CB6U/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B002R2CB6U&linkCode=as2&tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B002R2CB6U&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=ethos-22" ></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ethos-22&l=as2&o=9&a=B002R2CB6U" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
<br />
<br />
Ｃｏｃｃｏについては、あまり詳しく知らなかった。<br />
シンガーソングライターで、拒食症を患っていた、というぐらいの知識だ。<br />
どうして興味を持ったかというとこの後の映画で『ＫＯＴＯＫＯ』でベネチア映画祭オリゾンティ部門でグランプリを受賞したからだ。<br />
この映像はドキュメンタリーだけれど、音楽活動を通してどんな視点を持っているのかというのがわかった。<br />
ちなみに彼女が沖縄の人であるということも、この映像で初めてわかった。<br />
沖縄の人間は基地問題と共にあり、毎日のように基地について考えている。<br />
中で「阪神大震災の慰霊モニュメント」も出てくるし「六ヶ所村」のことも出てくる。<br />
身内が働いていて給料を貰っていたら、どんなに村から離れていて関係なかったとしても何も言えない、ということを村の関係者の人が話していたのが印象深い。<br />
Ｃｏｃｃｏはファンの手紙を貰って「六ヶ所村」のことを知り、そして沖縄の問題と重ねあわせて考えていた。<br />
自分たちが生活を送っている裏で何らかの犠牲を背負っている人たちがいる。<br />
特に都市圏に住んでいる人間はこの意識を持ちづらい。<br />
かく言う私もずっと札幌に住んでいて、それなりの都会であるので、都市を維持するための労力は思い描くのが難しい。<br />
原発の問題も基地の問題も、国家の裏でどういうやり取りがあってそうなっているのか民衆には理解しづらい部分があるし、「民意」と言ってもダイレクトに反映されているとは言いがたい。<br />
「生活をするための、しょうがないこと」<br />
こんな意識が取り巻いているのではないだろうか。<br />
映像の中でもＣｏｃｃｏは絶望だけじゃなくて何とか前向きに生きようとしていると言っていた。<br />
<br />
ふと他県に移って私も気がついたことがある。<br />
地元以外の他県の情報は「東京の視点」でニュースになり、地元は「地元の視点」でニュースになる。つまり地元の問題は「東京では問題にならないこと」は外に出ていかず、地元に閉鎖的に情報が流される図式になっている。<br />
Ｃｏｃｃｏが沖縄の問題は沖縄だけでたくさん流れている、というようなことを言っていた。<br />
中にはジュゴンが海に帰ってきたというニュースが差し挟まれ、道民の私はそのニュースを映像の中で始めて見た。<br />
このドキュメンタリー映像は、ほとんどＣｏｃｃｏのファンぐらいしか最初は興味を持たないかもしれないが、はっとさせられることがある。<br />
それは「誰かの苦しみや悲しみを救おうとすることで自然とメッセージ性が出てくる」ということだ。<br />
六ヶ所村から住む女性から手紙を貰ったＣｏｃｃｏが「助けてっていう手紙がほとんどだけど、この手紙には一言も助けてと書いていなかった」とあった。<br />
このメッセージからもＣｏｃｃｏが祈りの対象のようなものであり、救いの神のような扱いをファンから受けているのではないかと思わされる。<br />
さまざまな苦しみや痛みや悲しみに目をむけ、音楽を通してそれらを少しでも緩和できたらという気持ちが全編に流れている。<br />
<br />
最後のほうに親としての視点があった。<br />
一人でいたときと、親になったときの気持ちの変化が宮崎アニメ「もののけ姫」を通して語られていたのが面白かった。<br />
守るものが出来ると、つまり後世のためのことを考え始めると、一人でいるときとはまったく視点が違ってくる。<br />
絶望よりもなるべく希望を残していきたいし、共有したいという思いは誰にだってある。<br />
しかし希望だけ並べ立てても現実は塩辛い。<br />
なぜなら生きることそのものが何者かに犠牲を強いることだからだ。<br />
この構図は人間が生物である限り変化しない。<br />
<br />
全ての人間の苦しみを救うことは不可能だ。<br />
だからこそ「終わらない旅」なのだろう。<br />
彼女のファンではなくとも、何かと考えるところがあるしっかりとしたドキュメンタリーだった。<br />
<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001E0HS32/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B001E0HS32&linkCode=as2&tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B001E0HS32&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=ethos-22" ></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ethos-22&l=as2&o=9&a=B001E0HS32" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />]]> 
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    <author>
            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
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    <published>2012-08-13T14:48:33+09:00</published> 
    <updated>2012-08-13T14:48:33+09:00</updated> 
    <category term="映画" label="映画" />
    <title>海炭市叙景</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<a href ='http://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=as_li_qf_sp_sr_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&index=aps&keywords=%E6%B5%B7%E7%82%AD%E5%B8%82%E5%8F%99%E6%99%AF&linkCode=as2&tag=ethos-22'><img src='http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B005I63Z58&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=ethos-22' border='0' /></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ethos-22&l=as2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
<br />
<br />
同名の小説から映画化された作品。<br />
どうしてもこのような複数の人間模様を描いた作品の秀作として『BABEL』を思い浮かべてしまう。<br />
小説が優れているだけに、脚本監督の力量が問われるが、少々長く、そして偏っている感じは否めなかった。<br />
つまり「印象に残る配分」として中ごろに出てくる「虐待」が強く残ってしまい、他のものが小説抜きでは、ちょっとわかり辛い。<br />
間接表現と直接表現の隔たりも目立つ。<br />
映画は別物として小説とは切り離し、映画は映画の中で完結していなければいけないし、映画の中でヒントをすべて出しておくべきなのだ。<br />
その点ではヒントが不足しすぎている。<br />
ゆえに余韻不足だし完結し得ない。<br />
そして多少長い。<br />
もうちょっとだけコンパクトに出来たのではないかという印象が強く、「勇気を持ってギリギリまで削る」作業があれば、もっと優れた作品になったのではないかという印象すら持った。<br />
<br />
原作がよい小説は小説のイメージに読み手は強く引きずられる。<br />
それは脚本家であっても同様なのだが、原作をすべて映画で表現することは当然不可能だからピックアップしてオムニバス形式にしたのだろう。<br />
しかし何故これを選んだのかということと、そしてそこから得たものを脚本家はどうしてこう編集したのかという意図が、「小説ありき」の映画になっていて惜しいのだ。<br />
そして原作をちょっと変えてしまったことによって、原作の方が遥かに優れている点が多く出てきてしまった。<br />
暖かい感じが冷たくなってしまったり、人情あるものが虚しいものになっていたり、演出上逆効果になってしまったものがいくつかあった。<br />
ラスト間近ではいいカットがあった。<br />
原作のある映画は原作を超えられないというジンクスを抱いているのだとしたら、それはNOだと言いたい。<br />
映画には映画のよさがあるし、小説には小説のよさがある。<br />
それぞれ表わせないものがあるだけに、映画で補えないものの延長線として小説があるわけではないし、またその逆でもない。<br />
<br />
言われなければわからないのだが、映画のキャスティングに地元の人を使っている。<br />
加瀬亮の奥さん役、虐待するいやらしい母親役の東野智美、その息子役の信山紘希はいずれも素人で作品の演出上非常に目立っていた。<br />
知ると驚き。市電の運転手だって素人だというのだから、皆自然すぎて本職の役者かと思うほど。<br />
現場の人たちはついつい思い入れが強くなってしまうし、映画スタッフだって、せっかくこうして努力してくださるのだから無駄にしたくないという思いは強くなるが編集は心を鬼にしてやらなければできないと思うのです。<br />
映画は時間の芸術だけに難しい。<br />
<br />
低予算で仕上げた映画で１６ｍｍで撮り仕上げに３５ｍｍに戻し、上映時にはデジタルに戻すなどフィルムを使って撮っているという。<br />
淡い雰囲気が出ていて非常によかった。<br />
景色は本当に綺麗。初日の出なんて、２４時にロープウェイが止まるから朝動くまで山頂に軟禁状態とか、苦労話を聞くと映画の見方が変わるけれど、それは映画とは別腹にしないと面白くないんです。<br />
こういう話は「デザート」であって、コース料理の締めくくりとしてよくなってくる。<br />
メインデッシュの味付けが一番よくなければデザートはよかったよね、になる。<br />
<br />
一言最後に締めくくるならば、惜しい。<br />
いい映画なだけに、凄く惜しいです。<br />
<br />
しかし、<br />
・函館生まれの作家による、函館をモデルにした小説を、函館ロケで映画にする。<br />
・今の函館の町並みを映像として記録し、後世への記憶に残す。<br />
・市民参加の映画づくり。映画づくりという大きな目標を掲げた自主的活動が、町に活力をもたらし、文化活動の新しい形を生み出してゆく。<br />
という映画化への目的は達成されたであろうから、充分とも言えるかもしれませんね。]]> 
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            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
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    <published>2012-08-13T14:03:19+09:00</published> 
    <updated>2012-08-13T14:03:19+09:00</updated> 
    <category term="小説" label="小説" />
    <title>海炭市叙景</title>
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      <![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4094085564/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4094085564&linkCode=as2&tag=ethos-22"><img border="0" src="http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=4094085564&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=ethos-22" ></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ethos-22&l=as2&o=9&a=4094085564" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
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作者はこの小説を未完にして自殺した。<br />
ゆえに様々な「もしかして」が思い浮かぶ。<br />
内容は「海炭市」という架空の都市に住まう人々が各短編の主人公となり、冬から始まり夏あたりで止まっている。<br />
第一章第二章とあり、つまりは冬と春だ。<br />
２０年も前の作品だが、渋い。<br />
小説らしい小説といえばいいのだろうか、今のエンターテイメント志向の小説とは違って市井の様々な年代の人間の生活を細かに描写している。<br />
きちんと人間模様が描かれているが、このような架空の都市を作り出して様々な人間を主人公としている作家の一人に時代小説家だが「海坂藩」を描いた藤沢周平がいる。<br />
<br />
どこをモチーフにしているか明かされなくとも、北国らしいということがわかるし、特に路面電車が出てくるので絞込みは容易に済む。<br />
電車はどこにでもあっても、少ないのが路面電車と地下鉄とモノレールとトロッコだ。<br />
この四つの電車のどれかが出てくる小説はモチーフとしている場所が絞りやすい。<br />
もったいぶることもないので書くがモチーフとしている都市は函館市だ。<br />
<br />
通常、北国の人間は最初は無口、打ち解けると喋り出す、というイメージがある。<br />
雪国ならではの極寒で耐えしのぎ、吹雪の中でひたすら凍えながら立ちすくみ我慢するような、そんな雪のイメージが付きまとうからだろう。<br />
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私が鹿児島に行った時にも言っていたが都市部の人間において、地方特色の人間の癖というのはなくなってきている。<br />
というのは、若い人たちが入ってきて、都市をとった人たちが亡くなっていくことにより、都市部では中和されてきているというのだ。<br />
私は札幌に住んでいるが、他の都市部と比べて何が違うのか、人の面で言えと言われれば少し困るところがある。<br />
注意深く探さなければ見えてこない。<br />
環境によって生まれてくる人と考え。<br />
それが生活なのだろうし、それが都市の特色、市井の人の癖なのかもしれない。<br />
<br />
『海炭市叙景』では仕事に就き、そしてその仕事を背景にして物語が進むことが多い。<br />
もちろん仕事は生活の一部であるし、人生を支える大事な点であり、その人物のアイデンティティでもある。<br />
生活をしっかりと文章の中に練りこみ小説に盛り込む視点は、派手さがないが、地に足がついているだけに描写も難しい。<br />
というのは、どうしてもしっかりと書いていかなければ生活の部分だけが描写として浮いてきてしまい話の筋にリンクせずに余計な分量として贅肉となる。<br />
配分のバランスがきちんとしているから、違和感なく「生活する人」が生きている。<br />
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全体的に陰鬱、救われもしない、幸福とも言いがたい、曇り空のような雰囲気が漂う。<br />
だが、「もしかしたら」という想像が生まれてくるのは、この小説が「未完」だからだ。<br />
最初に違和感を持ったのが、出だしの二編で、事件を共有している。<br />
しかし進むに連れて事件は共有されなくなってくる。特に二章目はまったくのバラバラの物語だ。<br />
まだ夏と秋が残っていて、作者はその二つの季節、残り二章を書かずに亡くなった。<br />
この夏と秋の二章に何を書くのか。<br />
もしかしたら、前半の登場人物を脇役とさせ、話を救いのあるものにしたのかもしれない。<br />
私がそう考えるのは、全編この調子では冗長過ぎてだれるからだ。<br />
何のために小説を書き始めたのか、人の生活を書き始めたのか、きちんと考える作者だけに一辺倒では終わらなかったはずなのだ。<br />
そして絶望もせず不幸だけでは終わらず、ささやかな幸福を願い、日々の小さな幸せを得ながら生きていこうとする人間の姿をよく理解しているだろうからだ。<br />
書き方は非常にうまく、大人になってようやく、住まう人々の腰の座ったたたずまいが理解できるようになる。<br />
中年ぐらいの方がようやくわかってくるような小説なのではないかと思う。<br />
<br />
書き方がうまいと思うのは、タイトルのうまさ、締め方の秀逸さ、物の絶妙な使い方などがあげられる。<br />
読み終わり、タイトルを見て考えさせられる。<br />
なるほど、２０年経っても根強いファンが２０１０年の映画化までこぎつけるほど残っているというのもうなづける。<br />
この小学館から出た小説も長き時を経てここまで来ているのだから、作品の運命は皮肉だと感じるし、私が当人だったら、などとあれこれ考える。<br />
無数の作品の中で、佐藤泰志のしかも『海炭市叙景』に出会える確立など、クジを引き当てるくらいになる。<br />
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今はエンターテイメントばかりの小説が溢れる中、小説らしい小説を残すのは非常に難しい。<br />
ほとんどボランティアのような気持ちでやらなければならなくなる。<br />
もしくは市町村をスポンサーにつけるか、人々を味方につけるかしなければ立ち行かなくなる。<br />
小説家のアプローチの仕方も現代では変化した。<br />
しかしどれほどエンターテイメントが好まれようと、このような小説は滅びて欲しくないと思うし、どうか残していきたいと願い行動するのが文筆家、いや、人をきちんと見つめる小説家の性分のような気がする。<br />
未完ではあるが、読みがいのある作品に久しぶりに出会えて、ありがとうと思えたことが、何よりもの分け前でした。<br />
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            <name>光野朝風（ひかりのあさかぜ）</name>
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